先日は
愛され女性になる方法
を考えてみました。
この記事を見て
「そうそう、あのコは愛され女性にならないんだよね~、男をわかってないよなぁ」
といって納得してしまった男性の方。
その考えでは100%女性は愛され女性になりません!
自分に明るく対応してくれれば、愛され女性になれます。
が
明るく対応してくれないのは、男性に問題があると考えてよいです!
身なり、
清潔感
挨拶
笑顔
声のかけ方
・・・etc
今一度考えてみるべきです。
自分がどんな対応をとっていたのかを。
愛され女性の明るい対応は自分自身をハッピーにしてくれます。
では
自分は女性をハッピーにしていますか?
100%男のせいというのは
100%男のせいにしたほうが、自分自身が成長できるからです。
自分が悪いから相手のコが明るく接してくれないと考えたほうが良いです。
「男は女性を幸せにするために生まれてきた!!」
ぐらいに考えてちょうどいいくらいだと思っています。
最近愛され女性だと思うのは
ヘキサゴンでおなじみの里田まい
あのコの明るい対応は嫌味も感じられません。
同姓にも好かれそうですね
当院の受付業に求人面接に来たら即採用!
女の人はプライベートでは愛され女性を意識しなくても良いと思いますが
仕事では意識したほうが良さそうです
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2009.09.29
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先日は
なぜ挨拶をするのか?
を理屈で説明しました。
人にあいさつする、声をかけるという行為は
「その人の存在を認めている行為、承認している行為」だと説明しました。
では、
人の存在を認めている行為、承認している行為は、挨拶や声かけといった
音声のコミュニケーションでなければいけないのでしょうか?
音声以外のコミュニケーション・・・最近これが上手いなぁと思ったのが
小泉元首相です。
分かりやすい動画が無かったのですが、まずは↓の動画の
0:20~0:40をご覧下さい。
さらにグーグルの画像検索ではこのような似顔絵を見つけました。

似顔絵を描くときには
その人の特徴を捉えて描くという原則があります。
この似顔絵を描いた作者も、私と同じく、
小泉さんはよく手を挙げていた(挙げている)と感じていたのでしょう。
この手を挙げる行為・・・これって挨拶、声かけの代わりになりませんか?
自民党総裁選挙の動画では、手を挙げることによって
「投票してくれた皆さん、ありがとう。」
の意味が込められていると同時に
「投票してくれなかった皆さん、これからがんばります。よろしく。」
という意味も込められている気がします。
総理官邸に行くときにマスコミに向かって手を挙げていたと思います。
あの手を挙げる行為は
「マスコミの皆さん今日もご苦労さん。」
という意味が込められているのではなかったのかなぁ
と感じました。
おそらく彼は若手議員さんや秘書、その他関係者に同じことをしていたのでは
ないかなぁと思っています。
本当は声をかけたいし、挨拶もしたい。
でも、移動しないといけないし、声をかける時間もない・・・
仕方がないから、手を挙げて
「ご苦労さん、今日もがんばっているね。」
の意味を込めての手を挙げる行為をしていたのではないかなぁ
と思っています。
その行為が小泉元首相の人気につながったのでは?
と思っています。
では日常ではどのように使ったらいいのでしょうか?
私が考えたシュチュエーションを↓に書き出してみました。
①大通りの向い側の歩道にいる知り合いへ手を挙げてみる
②コンビニで立ち読みしている友人に、ガラス越しに手を振ってみる
③廊下で友達が別の人と話している。話を遮って声かけるのも嫌だけど、何もしないも嫌だなぁ・・・友達の視界に入って手を挙げてみる
④社内恋愛が禁止の会社で、営業に行く彼に「がんばって!」と声をかけたいけど、怪しまれると嫌なので、がんばっての意味を込めて、小さなガッツポーズをしてみる。
⑤今日は出勤して何度も顔を合わせている。朝に挨拶もしたし、たっぷり雑談もしたし、声かけするネタがない。そんな相手と廊下ですれ違う。そんなときに相手の存在を承認している意味だけの手を挙げることだけしておく。
⑥対面してきた車が通りやすいようによけてくれた、ガラス越しに手を挙げた。
目上の人には会釈でもいいでしょう。
でも会釈だと、わからないことが多いので、手振りがあるとわかりやすくて
良い気がします。
さらに言うと
車で帰るとき、「さようなら」の意味を込めてクラクションを鳴らす。
ハザードランブをつけてみる。
というのもコミュニケーションになるでしょう。
いつも治療に来てくれる同級生には、来てくれたときに
「うお~」
とか
「ゥオッス」
とか
よく分からない声を出していますが、それが
「友人として承認しているよ」
という行為になっているのですね
具体的にわかりやすい表現を使って説明してみましたが
よりいっそうわかりやすい具体例があったら、コメント欄から
教えてくださいね
2009.09.22
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高校生のころ、サッカーをしていてケガをし、接骨院で治療を受けたことを
きっかけにこの仕事を目指しました。
そのときみていただいていた先生のもとで18歳から見習いをすることになり、
開業後の今もいろいろと勉強させていただいています。
お師匠以外の接骨院や病院にも勤めましたが、お師匠ほどすごい先生はいませんでした・・・
何とかお師匠に追いつきたいと思って、いろいろ勉強しています。
で
そんなお師匠に何とか
「森田君、よくやったな!すごいな!」
と認め、ほめてもらいたいと思ってがんばっていますが、
お師匠の口からまったくそんな言葉は出てきません。
「ご苦労さん」
とだけよく言われますが、
「私の門下生ならできて同然だ!!」
という言葉が隠されているような気がします・・・
この先お師匠には一言のお褒めの言葉ももらいないのでは・・・
と感じていますが、何とか言わせたい!
「森田君、よくここまで出来たな!すごいな!」
と言わせたい!!
私の日々のモチベーションの一つでもあります。
でもお師匠のことなので、死ぬ間際でも言ってくれないんじゃないかな。
とうすうす感じます。
お師匠から認められ、ほめられると弟子は努力を怠りそうな気がします。
そんなことを計算してわざと言わないのか、
私にまだまだ実力がないのか、
それは分かりませんが、これから先も
お師匠のお褒めの言葉をもらうことをモチベーションに
がんばって行きたいと思います。
お師匠はよくこう言っておられました。
「ここを巣立っていった者はすごい先生だと、皆さんに言ってもらうのが嬉しい」と・・・
あえて自分を超えた弟子でも認めずに、弟子にはさらにすごい先生になってもらいたい
という心があるのでは?
と感じています。
それが教え、育てた者の喜びではないかと・・・
師匠と弟子の関係はそんな関係でいいと思います。
終わりの無い、非常に厳しい試練ですが、自分は確実に成長できるはずです。
2009.09.21
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